皆さんこんにちは「みよし」です。
今回の記事は、2025年1月21日の「情熱大陸」で取り上げられる心臓内科医、三角和雄(みすみ・かずお)さんの経歴を中心に、現在の評価までを取り上げてみました。
心臓カテーテルのトップランナーとして知られる三角和雄先生のこれまでの経歴は、どのような経験を積み上げてきたのか、そして医師を志す動機になった事はなんなのかを掘り下げてみたいと思います。
三角和雄の経歴
心臓内科医の三角和雄先生は、日本の医師医学者として特に循環器分野で活躍されています。
特に上記した心臓カテーテル手術、その中でもロータブレーター(冠動脈の狭窄病変を削るカテーテル治療法)に関しては世界トップレベルの技術を持っています。
東京医科歯科大学を卒業後、アメリカで長年の研鑽を積み、帰国後は千葉西総合病院を中心に、臨床、教育、研究と多岐にわたって活動されています。
・基礎と臨床の両立
東京医科歯科大学で医学を学び、その後、アメリカの名門大学で心臓血管病理学の研究や、内科レジデント、循環器臨床フェローとして研鑽を積まれました。基礎研究と臨床経験を両立させ、深い知識と技術を身につけられました。
・カテーテル治療のトップランナー
アメリカで心血管カテーテル治療の専門フェロー※を修了され、日本にこの高度な医療技術を持ち帰りました。千葉西総合病院の心臓センター長として、数多くのカテーテル治療を手がけ、日本の心臓医療の発展に大きく貢献されています。
※心血管カテーテル治療の専門フェローとは、心臓や血管の病気の診断や治療に用いるカテーテル治療を専門的に学ぶ研修医のことを指します。
・教育者としての顔
東京医科歯科大学臨床教授として、後進の育成にも力を入れてこられました。多くの若手医師を指導し、日本の循環器医療を担う人材の育成に貢献されています。
・病院経営者としての経験
千葉西総合病院の院長を務め、病院経営にも携わられました。医師としての経験と経営手腕を活かし、地域の医療機関として重要な役割を果たしています。
・経歴の詳細
昭和32年: 大阪市生まれ
昭和57年: 東京医科歯科大学医学部卒業
昭和60年~平成8年: アメリカの大学で研究・研修
平成8年~: ハワイ大学臨床助教授
平成10年~: 千葉西総合病院心臓センター長
平成16年~: 千葉西総合病院病院長
平成15年~: 東京医科歯科大学臨床教授
三角和雄はなぜ医師を志したのか。
三角和雄先生が医師を志した理由は、ご自身が子供の頃に溶血性連鎖球菌という細菌感染が原因で起こるリウマチ熱にかかり、入院生活を送った経験が大きく影響しているようです。
・小児科医との出会い
入院中に担当医となった小児科医が、三角和雄先生にとって大きな存在となったようです。
その医師の献身的な治療や温かい励ましが、三角和雄先生の心に深く残り、医師という職業への憧れを抱くきっかけになったと考えられます。
家にいたら治らないものが入院したら良くなった、やっぱり医者っていいなと思ったのだそうです。
・病気の苦しみからの学び
リウマチ熱による辛い入院生活を通して、病気の苦しみを身をもって体験した三角和雄先生は、患者さんの気持ちを経験から深く理解できるようになったのだと思います。
それだけではなく、父方の祖父ががんで亡くなったこともあって、小学6年のときには医者になろうと思っていたのだそうで、この頃には強い目標があったようです。
これらの経験から、三角和雄先生は「病は待ってくれない。最高の医療に国境はない」という強い信念を持ち、現在も第一線で活躍されています。
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— RBB TODAY (@RBBTODAY) January 17, 2025
まとめ
人として、高度な技術を持つプロとして、そしてそれだけではなく経営者としても非常に高いバランス感覚をお持ちの三角和雄先生。
様々なコラムなどを見ると、昔からの技術者という感じのする一方で、ユーモアセンスもお持ちのようです。
本当は重大な医療行為を受けることなく人生を生き切ることができればいいのは間違いないでしょうが、いざ自分も心臓に重大な疾患を抱えてしまうかも知れません。その時は三角和雄先生のような先生に診てもらいたいと考えてしまいますね。
今回の記事は以上となります。
また別の記事でお会いしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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