原田泰造、農芸高校から芸能人になった理由は?

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お笑いトリオネプチューンのボケ担当で俳優の原田泰造さん。高校時代は東京都立農芸高校に進学していました。芸能人の前段階が農芸高校?何か有名人の出身校とかいるのかと考えてしまいますが、そうではありません。原田泰造さんの農芸高校から芸能人になるまでのエピソードをご紹介します。

 

 

 

農芸高校に入学したのは家業を継ぐため

 

元々の出身地は父親の故郷である広島。それから北へ東へと、父親の転勤で動きがあった時代は割と早くに東京エリアへと。現在の実家がある東村山へは割と早くに落ち着いていたようです。この実家というのはご両親が営まれていたお弁当屋さん「ランチショップたきたて」というお店。父親の転勤という流れから何故お弁当屋さんになったのかの経緯はさておき、これが原田さんが農芸高校へと進む理由になりました。中学の時点で芸人になろうと言う気はなかったらしく、将来的に家業を継ぐつもりで進んだのが農業高校だったということです。調理技術ではなく素材の方へのアプローチというのは中々深いと思います。調理技術に関しては、恐らくですが家業がプロな訳だからというのもあったかもしれませんね。

 

どういった流れで芸能界へ?

 

幼少期に児童劇団に親に内緒で応募した(!)というエピソードがあります。恐るべき行動力、これがある程度成長してからとか親が劇団を薦めてとかならよく聞く話ですが、すごいですね。それなのに何故家業を継ごうとしたのか?と思うところですが、親が劇団の月謝が払えないというのが理由でした。反対はしなかったということでしょうか。そうして家業を本気で継ぐつもりで農業高校を卒業した原田さん。テレビに出たいという熱は失われていなかったようで、高校を卒業後、モデルや俳優のオーディションを受け、最終的には当時のアルバイト仲間とお笑いでプロダクションのオーディションを受けて合格。そのグループはすぐに解散してしまいます。しかしすぐにオーディションの時に一緒だった堀内健とフローレンスを結成し、更に2年後には先輩の名倉潤が加入して「ネプチューン」のトリオが完成する訳です。

 

まとめ

若い頃に一度は夢を諦めて、という事は誰でも経験する事でしょうが、やはり本気の想いというのは火種が決して消える事のないものなのかも知れませんね。
それではまた、別の記事でお会いしましょう。

 

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