吉田直樹が本当のゲーム好きとしてやってきた事

クリエイター

世界的なゲームクリエイターで知られる吉田直樹さんは今年50歳になります。そんな吉田さんの肩書きは超長い事で知られていまして「株式会社スクウェア・エニックス取締役兼執行役員(開発・部門担当)兼第三開発事業本部事業本部長兼ファイナルファンタジーXIVプロデューサー兼ディレクター。」です、長いですよね。吉田直樹さんは世界的に有名なクリエイターであるのと同時に、自身もプレイヤーであるというガチ勢。幼少の頃からいかにゲームの世界にのめりこんでいったかをご紹介します。

始まりはいくつの頃から?

 

吉田直樹さんは1973年北海道生まれ。始まりは子供時代にハマりこんだ「スーパーマリオブラザース」で、こちらも国民的な知名度のあるゲームです。高校卒業後ハドソン系列の専門学校へ入学。ゲームを作りたかったのでしょう。そして卒業後、本当であればかなり規模の小さなゲーム会社が希望だったようですが、親を少しでも安心させたいという理由から当時名前の知れていたハドソンへ入社することになります。この辺りからが本格的にゲームをつくる側へと歩みを進める事になる訳です。「ボンバーマン」や「桃太郎電鉄」など、ゲームを知らない人でもCMなどで名前をなんとなく聞いた事があるのではないでしょうか。

 

ハドソンからスクエアエニックスへ

 

2004年スクエアエニックスへスカウトされ、そこで遂に世界的に有名なタイトル、初のオンラインゲーム「ドラゴンクエストX」の製作に関わる事になります。その他に世界的タイトルもう1つ、ファイナルファンタジー14にもプロデューサー兼ディレクターとして関わります。そして自らもゲームプレイヤーとして楽しむスタンスがユーザーから高い支持を受けてオンラインゲームというグローバル展開される構造もゲームと同時に吉田さんを世界的ゲームのクリエイターというだけでなく、プレイヤーでもある本当のゲームをあいする人として支持されてきました。

 

まとめ

 

ものを創造して作り上げ、そして自身もその創造物の熱心なユーザーであるという姿勢はやはり多くの人の憧れの的ではないでしょうか。
それではまた別の記事でお会いしましょう。

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